こたつのブログ

最近読んだ本や見たアニメの記憶が薄れがちなので残しておきます

稲生物怪録(角川ソフィア文庫)

 角川ソフィア文庫より出版されている稲生物怪録を読みました。

 

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 稲生物怪録は江戸時代の中期に広島県三次藩の武士、稲生平太郎(のちに武大夫と改名)の住む屋敷に1ヶ月に渡って連日、怪異現象が頻発するという物語で、日本に伝わる妖怪物語の最高傑作の1つとして有名です。

 

 この本は三編で構成されており、まず第一編には広島県三次市の堀田家に蔵書されていた「稲生物怪録絵巻」がカラー版で、次の第二編ではこの怪異現象を実際に経験していたとされる平太郎本人が書き残したとされる「三次実録物語」が京極夏彦訳で、最後の第三編では柏正甫が平太郎から直接聞いて書き残したとされる「稲生物怪録」が東雅夫の訳および注釈付きで掲載されています。

 

 それぞれ三編は大まかな話の筋は統一されていますが、現れた妖怪や事の顛末などの細かい部分で違いが見られます。おそらく話が伝えられていく過程で伝言ゲームのように齟齬が生まれたせいだと考えられます。

 

 さて、物語の具体的な内容ですが、昼夜を問わず現れてくる妖怪に対して、平太郎が持ち前の胆力で対処したり対処しなかったり(基本的に対処しないで寝る)するのを30日間続けるといったものになっています。

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 なぜ平太郎の身に、30日間という長い期間怪奇現象が起こり続けたのかというと、どうやら日本には実力の拮抗した2人の魔王が存在し、どちらが有力な魔王なのかを決めるために胆力のある人間を驚かすということを続けていたところ、その競争に胆力の強い平太郎が巻き込まれたということらしいです。平太郎にとっては全くいい迷惑かと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この平太郎自身も霊験あらたかな山の頂上で百物語をするような人物ですから、このようなことに巻き込まれることも当然なのかもしれません。事実、本人が書き残したとされる「三次実録物語」においても、百物語をしてしまったせいでこんなことに巻き込まれてしまったのではないかといった内容が記述されています。

 そして怪奇現象が起こった30日目には、事の顛末に関わった魔王(山本太郎左衛門)が平太郎の前に現れて、「平太郎の胆力には参った、小槌を渡すのでもう1人の魔王が現れた時や困った時にはいつでも打ち鳴らして私のことを呼んでください」ということを言い残して妖怪行列に混じって帰っていくこととなります。

 

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 ここで山本太郎左衛門から平太郎に対して小槌を渡すという描写が出てきますが、この部分からは当時の日本人が鬼や妖怪、異界に対して不幸をもたらすといったイメージだけではなく、幸福をもたらしてくれるといった全く正反対のイメージを同様に備えていたことが伺えます。昔話にもこのような描写は存在していて、例えば桃太郎に出てくる鬼は人々に悪さをもたらす存在ではあるが、一方で金銀財宝を引き渡して、幸福をもたらす存在としても書かれています。別の例を挙げれば、「鬼瓦」という装飾物においてもかつての日本人の鬼や妖怪などの怪物に対するイメージ性というものが浮かび上がってきます。鬼瓦とはその名の通り、鬼の顔が彫刻された屋根瓦のことですが、この鬼の彫刻は単なる飾りとしてあるわけではなく実は「厄除け」といった役割を秘めています。ここからも当時の日本人は、鬼が厄をもたらす一方で、「厄を払う」といった側面を持っていると考えていたことが伺えます。妖怪譚として面白いだけではなく、このような民俗学的な側面にも言及できる非常に興味深い本だと考えさせられました。この物語が多くの人物を惹きつけてやまない理由の1つでもあるのでしょう。

 

 さて、以上の通りの一風変わった妖怪譚となっていますが、民俗学関係の本を読んでいるとしばしば出会う物語だったので今回の休みの機会に読めて良かったです。いつか平田篤胤氏の解説付きの本で読んでみたいのですが、高額なので手を出せないでいますね。まあどっかでお金が入ったら読んでみます。